中学生は定期試験シーズン真っ盛りです。当校でも生徒たちは積極的に自習室で勉強してくれたり週末の対策授業に参加してくれたりと、意欲に満ちています。目標は前回の自分の点数を越えることです。実際、ある中学2年生の生徒は数学の点数が一年生学年末で40点だったところから今回、78点を獲得してくれました。継続は力なり、ということですね。彼は英語も20点近く上がりました。
そんなわけで定期試験からはじまって高校の入学試験、さらに人によっては大学の入学試験や、あるいはほかにも何らかの資格の試験に至るまで、僕たちの人生(そして君たちの人生)には試験を受ける機会がウンザリするほど用意されているわけですが、それをウンザリせずに受けるために、何かうまい方法はないものでしょうか。今回は定期試験から入学試験に至るまで、ちょっとでも受験のストレスを減じ、肩肘張らずにラク~な気持ちで試験に臨めるようになるための方法を考えてみましょう。
①試験をゲームだと考える。
まあまあオーソドックスな方法だと思います。要するに、せっかく試験の出来不出来に応じて数値が与えられる(試験がほとんどな)のですから、これをいかに高めてゆくかを、あたかもビデオゲームを攻略するように、またサッカーのリフティングの回数を伸ばすように、あるいは吹奏楽部でタンギングの速度を極めるように、場合によっては友人たちと競い合いながらゲーム感覚で試験勉強に取り組めばよいのです。だいたい、別に試験というのは学習内容が分かっているか分かっていないかをテストするためのものなので、これに点数をつける必要性というのは自明ではありません。実際、学校の定期試験といったものはその理解度チェックの性質をもつ試験の最たるものですし、点数なんていらない気がします(むしろ、点数を記せば得てして人は点数にばかり気をとられ、何を間違えたかなんて気にしなくなってしまいかねないので、考えようによっては弊害さえあるわけですね)。さらに言えば学期末の成績をつける必要も特に自明ではないはずですが。
とはいえ、現状、わざわざ点数をつけてくれるのならば、それで遊んじゃおうというのが一つの方法です。
②ヤマを張る。
試験にヤマを張ることにかけて筆者(塾長)には一つ実績があります。筆者はある国立大学を受験した際、二次試験の社会は地理を選択したのですがーーなぜなら一番覚えることが少なくて、その場で考えれば解けそうな問題が多くてラクそうだったからですーー、当時その大学の二次試験の地理では必ず特定地域の地誌が出題されていました。そこで過去数年の出題を遡ってみると、それがどれもこれも北半球地域からの出題だったのです。中国、ヨーロッパ、北米、中近東、等々。こうなったらもう今年は南半球から訊かれるんだろう、と北半球の勉強もそこそこに、南米とアフリカの勉強に注力するほかありません。オセアニアを勉強範囲から外したのは、この地域について大問1つ使って訊くことなんてほとんどないだろう、と踏んだわけですね。当時、英語と数学でまあ受かるだろうと高をくくっていた自分は地理の勉強をほとんどしていませんでしたので、二次試験一日目を終えた晩、一夜漬けでアフリカと南米の知識を詰め込みました。宿泊していたホテルのベッドに転がりながら問題集のページをぱらぱら繰っていたことを今でも覚えています。果たして試験当日、地理の問題用紙をめくってみると、あるではありませんか、中南米に関する地誌の問題が。中米を見落としていたところがいかにも筆者らしく不徹底ですが、まあ全体的には、しめしめと思いながら解答しました。その一夜漬けで15点くらい上乗せされたことでしょう。
ことほど左様に、ヤマを張ることには先に述べたゲーム的な面白さがあります。博打的な面白さです。あまり普段使いすることは(塾講師という立場上)お勧めできませんが、勉強のモチベーションがどうしても上がらないなという場合や窮地に追い込まれた場合には一つの立派な戦略となりえます。
③悠然と構える。
だいたいテストなんてもんは普段の実力を測るものですからね、対策なんてするのは邪道ですよ邪道、と考える、そこの君! 筆者もまあその意見に賛成です。ただ塾講師というのは君たちの成績を上げることがレゾン・デートル(raison d’être, 意味は自分で調べよう!)なのでね、成績を上げるための対策はしておこうか、という簡潔な助言はひとまず贈っておきたいと思います。
そのうえで申し上げるなら、試験なんて所詮、ちっぽけなことです。それで生死が決まることはありませんし、地球の軌道が変わることもありませんし、自分をフッた女の子(男の子)が振り向いてくれることもありません(いや、これはちょっとだけ可能性あるかな?)。とにかく、それで傷つく必要なんてないんです。だから過度な緊張などせんでよろしいのです。試験で測られる勉強が勉強のすべてではないですからね。「わからない問題は答えを見て覚えるまで解き直しまくる」式の勉強だけではなくて、難しい数学の問題を一日でも二日でも一週間でも一ヶ月でも、ウンウン唸りながらああでもないこうでもないとチマチマ悩んでじっくり味わうような勉強の愉しみ方も経験してほしいなぁと思います。解けそうで解けない問題を考えるのって楽しいことですから。
……というわけで、試験というものに対して過敏にならぬようにするためのアイデアをいくつか列挙してみました。いずれにも共通しているのは、ユーモアの感覚、センス・オブ・ヒューモアsense of humourを大切にすることだと思います。目の前の対象に熱中するあまり、視野狭窄に陥らないこと。一度、自分自身を、それから自分の置かれている状況を、突き放して第三者の目で眺め直してみること。当たり前だと思っていること、常識だと思いなしていることを疑い、その認識を無効化してみること。そうしたことができるようになると、シリアスに人生を生きることに疲れたとき、ふっと呼吸が軽くなるかもしれません。最近「哲学」というものが少しずつ(再? 再々?)注目されてきているようですが、僕が理解している範囲では、その「哲学」というやつは、すべてを疑い、すべてを問題にすることのできる大切な学問のことです。昨日、僕が個人的に観に行った映画『ぼくたちの哲学教室』にて活写されていた少年たち、自分の思考を手探りで言葉に紡ぎ直して他者と共有してゆく少年たちとともに、君たちが粘り強くものを考え、短期的な損得や試験の点数に一喜一憂せず、たくましく、したたかに、そしてしなやかに人生を歩んでゆかれることを願っています。(ちょっと最後はきれいにまとめ過ぎたかな……)